
チクオンキ(蓄音機)とは何か。SPレコード(LPの一時代前のレコード)専用のレコード・プレーヤーである。レコードの最初は1877年のことで、エジソンが円筒の側面に音波の振動を刻み込むことに成功したのである。円筒に錫箔を巻いて、回転させる。それに針を立てる。この針を上下に振動させると、円筒の側面に溝が刻まれる。円筒が回転するたびに少しずつ横にずれるように心棒にネジを立てておくと、何分かの録音が連続して出来るようになる。糸電話と違うところは、口元側がフレアのように広がっていることと、糸の着く場所には針が立っていることである。
円錐型の口に向かって何かしゃべると、録音ができる。それを逆にすると円筒に録音した音が再生できる。エジソンは最初この蓄音機(フォノグラフ)を記録とか口述筆記などオフィス用に考えていたようである。その後、錫箔では音が悪かったので、ワックスを代わりに使うようになった。録音の消去はワックスを削ればよいのである。(録音した溝を削って再生する、専用の消去機もあった。)この円筒を使った方式のものを、蝋管式と言う。英語ではシリンダーである。
ところが、録音はできなくても再生のみの機械で十分だと考えた者がいた。エミール・ベルリナーである。彼はベルの研究所で円筒式蓄音機の改良をして実用的な製品に仕立てた(グラフォフォン)。独立して1888年に平盤式の試作品を開発し、デモをしている。これがグラモフォンである。蝋管はコピーを作るのが難しいが、円盤なら量産に向いていることにも気付いたのである。つまり録音したマスターから雌型を作るのに、平面の溝からならお焼きのように簡単だが、円筒にある溝からは型が抜けなくなってしまうからである(その後改良され、中の円筒を縮めることで抜くことができるようになった)。
最初は片面のみ、しかも縦振動であったが、その後現在のLPと同じように横振動を記録するようになった。
蓄音機の針、振動板、ホーンの形状、回転動力などの研究改良を通じ、1910年代には一般に普及していく。
蓄音機は1925年ころにはビクトローラ社のクレデンザが、英グラモフォン社よりはHMV203型が登場する。大形のホーンを家具調のコンソールに内蔵して使い勝手をよくし、見栄えもすばらしいタイプである。また、この年よりレコードの録音に電気を使ったものが出てきた。周波数特性が大幅に改善された、サウンドボックス(リプロデューサーとも)にジュラルミン振動板を採用したものが登場した。これらの蓄音機が大型であることはレコードの特性が改善されたことと関係がある。例えば203型の大きさは、高さが127�僉�幅が71�僉�奥行き56�僂曚匹發△蝓▲泪曠�ニー製の重厚なもので、金具や彫刻がたいへん美しいものである。モーターはゼンマイ式であるが、電気モーターがないからゼンマイになっているのではなく、静かにコンスタントにレコードを回すことができるからゼンマイなのである。(因みに、盛りそばが10銭の時代の話であるが、この203型の昭和5年当時の価格は950円で、小さな家が買えた値段だそうである。) これらの大型蓄音機は電気吹き込みに対応したシステムで、音質は現在聴いても最高峰にあると言ってもよいだろう。SPレコードといっても、古くさいとか、ノイズだらけとか、思っている方が殆どであろうが、実際に聴いてみたら信じられないと言う方が殆どではないか。
その後EMGという英国メーカーが巨大で特殊な紙のホーンを使った蓄音機を発表して、1940年代まで製造を続けた。これがまたすばらしい音を出すことができる機械である。設計者はその頃現れた電気式の蓄音機より音がよいと豪語していたとのことであるが、試聴した印象では納得の行くものがある。
現在蓄音機は骨董趣味と思われているが、メンテナンスを行い、使用してこそ価値があるので、レコード音楽を愛する方のみが持っていただきたい。逆に言うと、動かない物やメンテの悪いものは二足三文の価値しかないはずである。日本では時に、ガラクタに近い品に異常な値段の付いている場合があるので、注意しよう。
音質について少し触れておこう。周波数特性では現在のアナログレコードの再生音にとても敵わないが(100から6,000ヘルツくらい)、音のアタック、中域の充実感、またその時代の演奏者の感性と演奏法に、現代の演奏や再生システムに望めない感動を覚える。30センチ盤でも片面が三、四分ほどだが、音楽が貴重だという感覚がたまらない。最近シュナーベルのピアノ演奏を聴いていたら、分けもなく感動をしたので、特にそう思うのだが。
音のアタック感については、普通のLP再生装置でも敵わないのではないか。また、弦楽器、声楽は得意である。サンサーンスのバイオリンを聞いた友人は、確かに自分の家で聞くLPより音がいいと思うと言っていた。(5.17.12修正、11.21.06修正)
〔蓄音機の現在〕
実際に蓄音機はお金さえあれば現在も手に入りやすい品物です。東京では銀座や神田に蓄音機専門店がありますし、サウンドボックスの開発も、最近まで行われていました。針も新品があります。レコード整理用の家具も発売されたこともあるくらいです。小型のポータブル蓄音機は値段も手頃ですが、大型蓄音機と比較すると音質の店では格段の差があることは否めません。中型のコンソール型は15万円くらいからあるようですので、一般にはこの大きさで音質も十分だと思います。
SPレコードは生産されていないので、徐々になくなりつつありますが、東京以外、大阪などまだ専門店が残っていて、いまだ活発に取り引きされている状況です。
左は1929年に英国で出版された、「Modern Gramophones and Electrical Reproducers」です。蓄音機と初期のアンプについて、最高の参考書です。日本でもこの本を読んで勉強した方が多いそうです。またこの本を翻訳して自分名で出版した豪の者まで昔はいたようです。
蓄音機の動作を解説します。上の写真にある針の付いた丸い部分がサウンドボックス、またはリプロデューサーです。針には竹針が使われています。左は蓄音機の概念図ですが、真横から見たところになります。中にはジュラルミンの振動板が入っています。針先の振動はてこの作用で、この振動板に伝わります。この裏側に小さな空気室があり音の出口を小さく絞ってあります。そうすると空気の反発力により、振動板が自由には動きにくいような負荷がかかります。振動板に負荷がかかっていると周波数特性にピークが出にくくなります。さて、このサウンドボックスはトーンアームに取り付けてありますが、現在のアナログレコードとは違い、音はこのトーンアームの中を伝わっていきます。それで少し太めなんですね。トーンアームの軸は大型機では蓄音機の後方中央にあって自由に回転するようになっています。ここに空気の漏れがあると特性が悪くなりますので正確に作らなければなりません。音はここから蓄音機の本体に入っていきます。蓄音機本体には大型のホーンが折り畳まれて収めてあります。ホーンスピーカーを見た方には分かるでしょうが、ホーンは徐々に広がるラッパのような形をしています。そうするとサウンドボックスの音を効率よく空中に伝えることが出来るのです。ホーンは長く、開口部が大きいほど低音が出るようになります。そのままの形ですと邪魔になりますので、折り畳んで箱の中に入るようにしてあります。これより古い型のものはホーンを外に出していましたが、重さと大きさの制限から開口部は小さくなります。例外はEHGというメーカーですが、2メートルほどの大型のホーンを外に出してあります。普通に作りますと重くなりますので、紙素材の軽いホーンを使っています。
レコードの溝から拾った振動のみをエネルギーとして聴くわけですが、音量は意外と大きく200人ほど入る小ホールでクラシック(音質優先なので振幅が小さめ)の再生でも十分実用になる音量があります。ダンス用のレコードなどは相当に大きい音が出るように録音してありますが、うるさいほどになります。音量調節ができませんから、夜など困る音量です。ところで、テレビや映画で蓄音機のふたを開けたまま演奏しているのを見ることがあります。これは絵になるのでそうしているのでしょうが、本来演奏中は決してふたを開けてはいけません。英グラモフォンの製品ではふたの奥に演奏中は必ずふたを閉めなさいと書いてあります。これはサウンドボックスから直接出る音を消して、ホーンから出る音のみを聴くようにするためです。(9.16.02改)
フランスにPathe-Marconiというレーベルがあります。今でもポピュラー音楽のレーベルとして生きていますが、今世紀初めころはPathe兄弟が起こした蓄音機の会社でした。この会社の製品はユニークでしたので、少し触れておきます。
この会社の特徴として、大きなサイズの蝋管に録音して、それをエジソンなどと同様の小型の蝋管に機械的にコピーして一般に売りました。(つまり、マスターとなる蝋管とコピー用蝋管を同時に回転させて、シーソー様の仕掛けでつながった針を両方に立ててコピーするのです。)また、その後SPレコードが一般的になるとこの大型蝋管からレコード・マスターを起こし、スタンプして量産したのです。最初は、縦振動で真ん中から外側に切った溝のレコード(センター・スタート)を出しました。これには理由があって、音楽のはじめは音が小さく、最後はクライマックスになるものが多かったということからです。つまり、外側のスピードは速いので、大きな音を歪みなく再生するには有利だったからです。ただ、お客の評判としては針を真ん中に落としづらいということだったようです。また、この会社は直径50センチくらいの大型レコードも出しました。これも理由は歪みを減らし大きな音を出すためでした。縦振動レコードの回転数も毎分90回転という互換性のないものでした。50センチクラスのレコードでは更に速い130ー140回転のものもあったようです。
蓄音機の再生技術も変わったものがあり、普通は針の振動を小型の振動板に誘導し、この振動で空気を振動させ、これを大きなラッパに導いて鳴らすいうものです。ところがパテでは、針の振動直接のようなコーンスピーカーの中心を動かすことで、直接音を得たり(デフューザー型)、針とコーンの間を長いロッドでつなぐことでコーンの位置を横向きにしたりという方法を採ったのです(1915年ころ)。このような、フランス的な独創が当時どれほど成功したのか分かりませんが、結局はグラモフォンやビクターなどの方式に合わせたあげく、1928年には英コロンビアに会社を買われることになったのです。
(12.21.03)
昔の白黒映画に、マッドサイエンティストがよく出てきた。おどろおどろしい実験室では、必ずはでに放電している機械が置いてあった。実際、電池とコイルとブザーのような電流を細切れにする装置があれば高圧を発生させ、二つの電極の間に放電火花を飛ばすことができる。ここで大切なのは増幅器などの電子回路がなくても電波が作れることである。コイルに入る電流をモールス信号で断続させると、火花も断続し、それに伴って出る雑音信号も断続する。この電流をコイルとコンデンサによる同調回路を通すと特定の周波数周辺に絞られ、これを送信アンテナにつなぐと空中に電波が出るのである。この電波を検知することができれば無線通信ができるようになるわけである。
入ってきた高周波信号の断続を音声帯域に変換できれば受信機ができる。その頃は増幅ができなかったから、受信機の感度を上げる工夫には限界があった。だから、送信側の電力を上げることに依って通信距離を伸ばす試みしかなかったのである。
最初は鉱石ラジオと同じ様なもので受信をしていたようだ。鉱石ラジオは文字通り、鉱石を使って音声の乗っている高周波(AMラジオの放送電波がそれです。)から音声を取り出す。それにはある種の鉱石が電気を一方向にしか流さない性質を使った。タングステンの針を鉱石に突き立てて使う。これを検波といい、鉱石検波器という部品名が付いている。この時代はまだモールス符号で通信しており、受信するとブザーのような音に聞こえた。火花送信機は送信周波数が広い範囲に拡がっているのと、受信機も同時に広い周波数範囲が聞こえてしまうので、相手の特定が難しいことである。それで、無線通信士は相手の音の特徴、つまり火花の飛び方や、回路の特性によって違ってしまうブザーの音質を指標にして通信していたようだ。日本ではモールス信号の短点をトン、長点をツーと表すが、米国式ではディとダーと言う。どうも米国式はブザーのような音なので、火花送信機での通信から来た音で、日本式は真空管時代の音から来ているように思える。
鉱石ラジオあるいはクリスタル・ラジオは最も簡単なラジオです。コイルとコンデンサをつなげると特定の周波数で共振します。つまり、ある周波数の電波を捕らえることが出来るのです。これを同調といいますが、同調回路で目的の周波数のものを取り出しても、このままでは聞こえる音になりませんので、検波回路で電波に加えた音声信号を取り出します。検波回路は実は大変簡単で、昔は鉱石の一種を使いました。最近は半導体のゲルマニューム・ダイオードを使用します。一方向にのみ電流を流す性質がありますので、音声信号の形に大きさの変わる高周波電流となります。その後で、高周波を取り除くと音声の部分のみが残ります。高周波成分を取り除くのは、小さなコンデンサが一個あればよいのですが、何もなくてもある程度はコンデンサの役目に相当するもの(配線とアースの間やクリスタル・イヤフォーンの中にある)ので、低周波だけが残り、感度のよいイヤフォーンを使って聞くことが出来ます。アンプがないので、感度はよくありません。それでもよいアンテナ線を使ったり、放送局が近ければ結構楽しむことが出来ます。
現在、鉱石ラジオのファンは世界中にいて、アンティークな鉱石ラジオを再現したり、様々なラジオを作っています。日本にもすごい人がいます。筑摩書房から出ている「ぼくらの鉱石ラジオ、小林健二著」をぜひ読んでください。鉱石ラジオ一般の話ばかりではなく、作品を作る技法が事細かに出ていて、モノ作りに興味のある方には感動ものの本です。
火花送信機はいかにも汚い電波を飛ばすし、安定した連続波を作ることが困難な欠点があった。
そこで、音声をきれいに乗せることのできる電波を作ろうとしたのが、高周波発電機である。つまり、現在家庭用の電灯線が50ヘルツとか60ヘルツの低い周波数の電力を作っているのと違って、数十キロヘルツクラスの送信用の大電力発生器である(例えば10KWクラス)。今の中波の放送と比べて周波数が低いが、それがこの高周波発電機で作る限界であった。回転する先端部は音速を超えていたといわれている。音声を乗せるのには、発電機とアンテナとの間にカーボンマイクを直接挿入したらしい。キロワットクラスの電力が流れる線のそばに人間が立って声を入れるのは空恐ろしい感じがする。現在パソコンのモニターから出る電磁波の影響などを気にしているのと比較すると、パイオニア時代の人間は凄かったなと思う。
この発電機が広く登場したのは1920年頃(一番最初は1906年)、長波の大電力送信をしていた。発明者はフェッセンデン、アレキサンダーソン、シュタインメッツなどで、GEで開発をした。真空管はすでに発明されていたが、まだほんの小さなもので、大きな電力を扱うことなど全くできないレベルであった。
エリミネーターあるいはバッテリー・エリミネーターは機器用の直流電源のことです。今では、テレビ、アンプ、パソコンなどの中に必ず入っている、100Vの交流を必要な直流電圧に変換する装置のことです。1930年ころは、アンプやラジオの電源は電池を使うのが普通でした。それというのも、住んでいる地域によって、家庭用の電気の電圧、周波数、がまちまちで、しかも不安定。また、現在のような交流ばかりではなく、直流給電の地域もあったのです。
そのバッテリーの必要を無くす(エリミネートする)ことができると言う意味で、こう呼ばれました。初期には大変高価な装置だったそうです。ついでに言いますと、そのころ蓄電池はアキュームレーターと言いました。デジタル世代の技術者の方は、アキュームレーターと言いますと、マイクロコンピューターのCPU内の累算器のことを思い浮かべるのではないでしょうか。同じ言葉が時代によって違う意味に使われるんですね。(11.23.06修正)